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SAF1の記憶・・・2006ブラジルGP [F-1]

アグリさんの撤退発表以来、なんだか気が抜けちゃって・・・・・

トルコGP/モナコGPは見ましたがなんだか物足りない感ばっかりでねぇ・・・。

なんとなぁ~く、気持ちが入っていかなくって^^;

で、少し記憶をたどる事をして見ようかな・・・なんて思いました。

SAF1の2年6ヶ月を思い出したとき、一番印象に残っているのは、私的には、琢磨入賞のGPではなく、2006年のブラジルGPなんです。

4年落ちのお古で、7ヶ月前まではグリッドに着くだけで精一杯。

シートだって出来たのは一人分。

ウイングも二人分同じのが揃わなかった状態だった訳です。

それから7ヶ月。

ブラジルGPでは、お古のマシンにメカニックたちの知恵が総動員される形で
(もちろんホンダの知恵も入ってますが)
お古のマシンはオリジナルのマシンといえる程姿を変えていました。

その結果・・・

レース・ペースは他のマシンと全く遜色ない速さで走りぬき
特に第二スティントでは、アロンソ(ルノー)やライコネン(マクラーレン)を上回るタイムを連発し・・

時にはマッサ(フェラーリ)とほぼ同タイムを出す事もありました。

当時のBSのアドバンテージに助けられたところはありますが、
それでも結果こそ10位でしたが、上位を見れば

1-マッサ:フェラーリ
2-アロンソ:ルノー
3-バトン:ホンダ
4-シューマッハ:フェラーリ
5-ライコネン:マクラーレン
6-フィジケラ:ルノー
7-バリチェロ:ホンダ
8-デ・ラ・ロサ:マクラーレン
9-クピサ:BMW

つまり、上位陣がしっかり生き残った上でのガチンコの10位でした

クピサにしても、第一スティントでのタイム差こそ挽回出来ませんでしたが
第二、第三スティントでは、ラップタイムは琢磨のほうが早かった程です。

今にして思えば、SAF1にとって、最も「オリジナル」な、自分たちのマシンで戦って
最も良い結果を出せたGPだったのではないかと思います。

どこかの記事で読みましたが(某カメラマンの○ん○わさんの「サーキット便り」だったかな?)、
レース終了後に(たしか)ルノーチームがシャンパン持ってSAF1に乱入したと言うエピソード
(「世界で最も野蛮で楽しい」宴会だそうで^^;)もありました。

SAF1スタッフが他チームからも、「尊敬すべき仲間」として認められる働きをした1年の、
締めくくりのGPとして、最高の結果を出したのではないかと思います。

この1年間が・・・
はじめの1年間が、最もスタッフも、ドライバーも、アグリさんも・・・

チーム全体で、一番盛り上がっていて、輝いていた年だったのではなかったでしょうか?

その締めくくりのGPでした・・・。

希望に満ちた時を楽しんでいました・・・・。

やっぱり「夢」であり「希望」だったんですよね。

日本人のプライベーターがF1コンストラクターとして戦うのって・・・。

アグリさんの将来が、フランク・ウィリアムズのように成ればなぁ・・・なんて夢見たりしました。

やはりプライベーターがポジションをキープするためには強力なパトロンが必要という事ですよね。

企業はパトロンには成り得ませんからね・・。

私はHONDAもTOYOTAも好きですし、日本人だから日本のチームを応援します。
中島Jrもおとーさんの代から応援してますからもちろん応援します。

でも、この2年半でSAF1に見た夢は、それらのものとは全く違った「夢」だったと思っています。

そういう夢を背負って、現実に立ち向かっていったアグリさんには、全身全霊で敬意を表しますが、
返す返すも周りの企業の理屈が残念でなりません。

そんな「夢」だったと思います。
brazilian_06_09.jpg
(画像は佐藤琢磨オフィシャルWebサイトより)
http://www.takumasato.com/jp/photo_gallery/2006.html

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