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朝日新聞の記事 [高知白バイ事件]

少々出遅れた感もありますが、先日10月29日(土)朝日新聞の朝刊、地方版に、「高知白バイ事件」に関する記事が載りました。

記事のコピーはこちらに載っていますので、リンクしておきます↓
http://kochiudon2.blog105.fc2.com/blog-entry-388.html
http://blogs.yahoo.co.jp/littlemonky737/65613039.html

中身をよく読むと、なかなか興味深いことが書かれています。

この記事の主題は「証拠写真のネガフィルムを調査した結果、デジタル加工により複製されたものである疑いが強い」というものかと思います。

さて・・・・そこで冷静に再度本件を見つめなおしてみましょう。

本件の事故態様に対する裁判所の判断根拠となったものは、科捜研資料と、衝突部位の写真であったかと思います。
警察資料図面.jpg
バス正面凹損S.jpg

そして、科捜研資料で事故解析の根拠とした資料は「スリップ痕」「さっか痕」「停止位置」であったかと思います。
現場写真 101-s.jpg
その中で、双方車両の速度を算出する根拠として、「スリップ痕」を用いています。

さらに、それらの「スリップ痕」「さっか痕」が現場にあったことを示し、またそれらの痕跡と「停止位置」が、科捜研資料の事故解析通りの位置関係にあることを示す資料として、事故現場の写真が存在していたわけです。

この科捜研資料には、私もいろいろな疑問を投げかけてきましたが、
(過去エントリーで題材にした疑問点などはこちら↓)
http://hachiman-kumori.blog.so-net.ne.jp/2010-03-25
http://hachiman-kumori.blog.so-net.ne.jp/2010-04-02
http://hachiman-kumori.blog.so-net.ne.jp/2010-04-06

それでも警察の主張がある程度の正統性を保っていた点は、135枚の証拠写真によるところが大きかったと思います。

検察側の論調としては「証拠写真に残されている現場が真実である」ということが根本にあります。
それは、ある意味その通りで、だからこそ現場検証の写真は重要な意味を持ちます。

そして、今回の裁判でも同様、事故態様を決定づける根拠として用いた科捜研算定資料が、事故現場の状況を正しく説明しているとする証拠として、現場写真を用いています。
(実際には、現場の状況を正確に取り上げていないことは前述のとおりですが・・。)

つまり、今回の判決の根底を支えていた根拠は、この135枚の現場写真であった訳です。

さて・・・・。

そこで今回の朝日新聞の記事です・・・・・。

この135枚の現場写真の証拠能力そのものに疑問が投げかけられました。

これはすなわち、今回の裁判が根本から崩れていったことに他ならないと考えられます。


「動機がない」「技術がない」というのは、何の反論にもならない事は、この件に着目しているすべての人がわかることかと思います。

そんな事言うなら「調査中なので答えられない」のほうがまだ気が利いているかと・・・。



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某F誌記事の解釈 [高知白バイ事件]

pti様よりこんなお題を頂戴いたしました。

>フライデーの記事ご覧なられてるとおもいますが、
>あびすけ様は足の無いとされる人物部分を、
>どうおもわれますか?
>ご感想をきかせてください。

これに対するコメントとして、(・ω・)様から、以下のようにもいただいています。

>右腕の向きや腰とお尻の感じや体の向きや目線が、
>自転車で右方へ走行中の姿勢にソックリですね。
>kochiudonさんもhttp://kochiudon2.blog105.fc2.com/blog-entry-386.html
>その旨の記事を書いています。


まさに、pti様が書き込みいただいた、私のエントリーに書いた内容とも一致すると思いますが、「~のように見える」というものは、ほぼ「主観的」な事であると、私は理解しています。

ですので、問題の写真が「どのように見えるか」は、見る人によって違いがあります。

また、予断を持って見るか否かによっても違いがあります。

ですので、「おかしい」と思って見れは、必要以上にそう見えるかもしれません。

また「おかしくない」と思ってみれば、これも逆という事になります。

さて・・・。
それでは、pti様の仰っています「この写真に写っている3人の人物」についてですが・・・。

これらの人物が写真に写っている姿としては、「あり得ない」と断定できるものではないようです。

左側の人物の姿勢や3人の固まり具合、など、極めて不自然な点はあるのですが、これをもって、「あり得ない」とまで断定できるかというと、少々弱い感じがしています。

ただし、逆にこれらの写り方が「あり得る」とも言い切れる状況ではない事もまた、事実です。

なぜなら、記事掲載の「輪郭線の不自然さ」はある程度の説得力を持つ、客観的な事象であると考えられるからです。

まぁ、言ってみれば「おおむね黒に寄ったグレー」と言った印象です。

客観的な事象は印象を上回りますからね。

それよりも、そもそも、この写真はそれ以外にも、四隅の画像のゆがみや下方隅に見られる黒ずみ(隅の方がだんだん暗くなっている点)、影の色が青みを帯びている点など、不審な点が数多くみられるものです。

従って、私としては、この写真について語るときに、この3人の人物に焦点を当てることはあまり重要な事ではないと考えています。

むしろ画像のゆがみ、色、暗部、などについて、ネガの中から、前後の写真と比較した中で、どのような考察がなされるかのほうが興味がある点です。

さらに言うならば、今回のF誌記事のメイントピックはフィルムの製造年月日にあるはずです。

この点に着目するのであれば、基本的に本件証拠写真として用意されているすべての写真について、何らかの意図が入っていてもおかしくはない、と見てかかるべきかと思います。

つまり、今回の主題はフィルムの製造年月日から、少なくとも1本のフィルムについて「後から加工されたものである」事が裏付けられた・・・という事な訳です。

ですので、残りの5本のフィルムについても、製造年月日こそ矛盾はないものの、加工されたものではないとは言えない状況になっている訳です。

いずれにせよ、こうした状況にあっては、すべての写真の証拠能力が疑われる事になりますので、個々の写真について、どのような加工がされたかを詳細について分析する事は、事件全体にあまり影響のある事ではないと思っています。
(補足:これは特に「不自然な写り方」をしている部分のすべてについて、突っ込む必要はないという意味で、「輪郭線」や「影の色」「ゆがみ」などのように、現象としておかしな部分については、詳細にわたる分析はされるべきかと思います。)

もっとも、これは、私の個人的な意見ですので悪しからず。

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ほんの資料写真です [高知白バイ事件]

表題の、「高知白バイ事件」ですが・・・。
このところ、次第に大きな動きが起きてくる気配が見えてきています。

まぁ、これも、急に活気付いてきたという訳ではなく、これまでの長い時間をかけて、地道に活動してきたその成果が、少しづつ形になってきている・・という事なのでしょう。

さて、その中でも、私も以前記事として取り上げてきていた「バス正面の凹損」について・・・。
(関連記事はこちらです↓)
http://hachiman-kumori.blog.so-net.ne.jp/2010-08-17
http://hachiman-kumori.blog.so-net.ne.jp/2009-07-23
http://hachiman-kumori.blog.so-net.ne.jp/2008-11-19

ええ・・・・以前から疑問視されてきていたこの痕跡についても、やっと色々な事が見えてきました。

例えば、その由来とされている「白バイのグリップエンドによるもの」説が、根本からおかしいという記事がこちらにUPされています。

なぜ交通事故で冤罪や捏造が?-K察&司法監視委員会↓
http://r110.blog31.fc2.com/blog-entry-110.html

入手された高解像度画像の解析などから、当該白バイの「グリップエンド」の材質についても書かれています。

また、こちらの記事のコメント欄にも記述がありますが・・・

高知白バイ事件=片岡晴彦再審請求中↓
http://littlemonky767.blog102.fc2.com/blog-entry-157.html#view_comment

・・・・・そうですね・・・・。

VFR800Pのハンドルバーのエンドは「黒」ではなく、また、衝突などの摩擦によって「黒色」の痕を残すような材質でもない・・・という事なのです。

実際の事故車の画像は上の「監視委員長」さんの記事に掲載されていますが、一般のVFR800Rのハンドルバー・エンドは、こんな感じです。

VFR800P-03.jpg

さて、そこで「推測」ですが・・・。

なぜ、裁判でこの「凹損」と「黒点」が「白バイのグリップエンドによる」ものとされたのか?

そう主張した人たちの頭の中には、こんな画像が記憶されていたのではないでしょうか?

VFR750P-02.jpg

ええ・・・・こちらは、事故当時はまだまだ現役で活動している台数が多かった白バイ「VFR750P」(同型)の画像です。
実際の事故現場を処理している写真にも、多数のこの形式のバイクが写っています。

また、事故を目撃し、貴重な証言をした「白バイ隊員」が乗っていた白バイ「GSF1200」(同型)の画像はこちらです。

GS1200S-02.jpg



・・・・・・・・・ハンドルバーのエンド部分・・・・・・・黒ですね・・・・・・・・。









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切り口を考えるという事 [その他]

物事に考察を加えるときには、必ず「切り口」があります。

独自の「論」を展開する場合には、この「切り口」のオリジナリティが求められます。

そう・・・・「論」ならば、それでよいのです・・・・・。

ところが・・・・・・。

検証であったり、事例分析であったり・・・・とにかく何かの証明をする必要のある時は・・・・・。

それは「論」の出番ではないはずです。

なぜならば、「論」には、必ず「論者」が決めた「切り口」が存在するからです。

それは、「論者」の「主観」に他なりません。

つまり・・・・その時点で、「客観性」を欠いているという事になります。

たとえば、豊かな流れを持つ四万十川の写真があったとします。

緩やかな流れ、青い空、それを水面(みなも)にうつして、青く輝いている様子。
水面にはカヌーに興じる人々・・・。
そして背景に連なる山々・・・・。

こんな写真を想像してください。

美しい四万十川の光景です・・・・。

ところがある人がこう言います。

「見てくださいよ。この美しい山々を・・・・。
私はこの山の姿に感動すら覚えますね。
特にここの稜線の形といったら、まるで神様が創ったかのような美しい曲線を描いていますね。
こんな事はもちろん私たち人間の力ではどうにも出来ませんし、まさに人知を超えた力がそこにあるという証明でしょう。
え?・・・・川?・・・・・。

そりゃ山があれば川があるのは当然ですよね。

それが何か???」

さて、・・・・この「論」が正しいか否かを考えてはいけません。

なぜなら、これは「論」だからです。

世の中の全ての「論」は、その論者の立場と切り口に立ってみれば、全てが「正しい」と言えるからです。

・・・・・・・・・以上・・・・私の「論」です・・・・・。





そもそもマトモじゃない:高知白バイ事件 [高知白バイ事件]

大変長い事放置していました・・・。

何かと身の回りでも多くのことがありまして、自由が利かないこともあったため・・。
まぁ、言い訳ですが・・。

さて、ずいぶんと久しぶりに表題の件に関するコメントをしてみる気になりました。

そもそもこの事件・・と言うか、元々は事故ですが・・・。
根本的なところでマトモじゃない事が多すぎる様に思います。

第一に、きちんと実況見分がされた形跡が見られない。

もっとも、事故見分調書という物も、なかなか見る機会がありませんので、「まとも」な見分調書がどういうものか、正確に把握している訳ではありませんが・・・。

ただ、私も職業柄「第三者を納得させるための公的な調書」を作成する機会は数多くあります。
特に写真による記録を提出する際、必ず求められることは、撮影日時や場所、基準となる寸法が分かるもの、などを明確に、同一の写真の中に記録しなければならないという事です。

これが不十分なものは、公的な記録として認められることはありません。
これは、我々建設業界では初歩の常識です。
こうしたいわゆる工事写真の中には、全体的な状況を記録する「スナップ写真」と言っているものもあります。

スナップ写真は状況を説明する写真ですので、出来るだけ定点で時系列に撮影する様にします。
そして、これらのすべての写真の撮影位置は、図面上に明記し、ファイリングします。
こうした写真の整理は、当たり前のこととして、すべての公共工事で行われています。

さて、もちろん、工事と事故とは違いますが、写真の意味、重要性を考えれば、当然のこととして、「何が写っているのか明確に説明する」事が必要です。
札やスケール、撮影位置の図面や撮影日時など、最低限これらの物がそろっていなければ、「スナップ写真」以下のものにしかなりません。

そうなんです。

今回の白バイ事件の写真や調書は、そうした「記録」なり「調書」としての体裁が全く整っていないとしか思えないのです。

ばらばらと、ただ数だけある似たような写真。

いつ撮られたのか、どこから撮られたのか、正確な位置や時間も明記されているのかどうかわからない写真。

何が写っているのか?そもそも何を記録しようとして撮影されたのかよく意図が解らない写真。

なにやら、130枚とか、枚数は多いようなのですが、どうも似たような写真ばかりで、整理してしまえば10種類もないのではないかと思えてしまうような写真・・・。

そしてさらに大事なことは・・・・。

事故解析のキモともいえる「衝突地点と衝突時の両車両の位置関係」と「衝突後、静止するまでの両車両の動きについて」の解析が可能となる写真が、あまりに少ない事。

それゆえ、これらの状況を図面上で再現しようとしても、資料として使える写真が非常に少なく、また散見的で、事故全体が図面上で再現しきれない事。

その結果として、死亡事故であり、裁判で争っている重要な事案であるにも関わらず、マンガのような、挿絵のような、ポンチ絵的な絵が一枚だけしか作成されておらず、この絵だけで事故を説明しようとしています。

まったく、よく、この資料だけから、裁判官は事故形態を「容易に」推定したものだと、感心してしまいます。

そして、最も不信感を感じられる点が、事故から8カ月間、これらの資料関係が当事者の目に触れる機会が全くなかったという事です。

この、いわゆる空白の8か月が、今回の「事故」を「事件」にしているように思います。

8か月も経てば、当然事故車は修理や処分などを済ませており、あとから調べる事など出来はしません。
調べるべき事故車両や路面などの重要な証拠はすべて失われてしまっています。

現場の状況も全く変わっており、当時の現場を調べる事は出来ません。

人の記憶も鮮明さを欠くことにもなります。(正確さを欠くとは言いません)

たとえ、その時点で調書がおかしいと思ったとしても、反論すべき裏をとる手段は全く封じられてしまっている訳です。
現場は完全に失われてしまっていますから・・・・・。

これでは、手も足も出なくて当たり前です。

いずこかで「独自の事故解析を行えばよい(よかった)」と言う声も聞こえていますが、解析すべき材料は、何も残されていなかったのですから無理な訳です。


だから、こんな言葉が頭をよぎるんです。



・・・・・・・・確信犯???・・・・・・・・・





タグ:高知 白バイ
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