不審な点を整理してみる:その1 [高知白バイ事件]
またまたご無沙汰していました・・・。
前回以降特に新しい資料は作成出来ていませんので、今日は全般的な整理の意味で、この事故→事件の流れの中で、私が不審に思っている点などを整理してみたいと思います。
1:供述書と本人の証言が一致していない。
バス運転手さんの供述調書は、高知地検が作成した検面調書と、土佐署が作成した員面調書の2つがあるという事です。
高知地検による検面調書は、2006年11月6日、すなわち事故発生の8カ月後に行われています。
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-229.html
また、事故翌日の2006年3月4日に土佐署で作成されたものはこちらである・・と言う事なのですが・・・。
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-234.html
まず、この3月4日作成の調書とされるものが、本人の記憶とまったく異なっているという事です。
そのあたりの事は、こちらの記事に詳しく書かれていますが、↓ともあれ、本人はこの調書に署名捺印した事を「身に覚えが無い」と言っている訳です。
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-237.html
つまり、警察(検察)と運転手さんのどちらかが嘘をついているという事になります。
11月6日の調書については、どうやら「その時初めてブレーキ痕があるのを知らされた」と言っている事。
また、「署名をしなければ帰してもらえないと思った」と言っている事などから、これは双方の見解は一致しているものと考えてよさそうです。
さて、3月4日の調書が嘘であったとすれば・・・・。
運転手さんの話によれば、当日警察で話していた事は、歩道での一時停止後、発信するときに右側をよく確認したかしなかったか・・という段階での話に終始していた様子です。↓
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-233.html
ですので、この調書は偽物で、土佐署は「公文書(?有印私文書?かな?)を偽造した」・・と言う事になります。
そして、3月4日の調書が正しかったとすると・・・・・・。
運転手さんは事故翌日には、ブレーキ痕の存在と、現在裁判で確定している事故形態を認識していた事になります。
11月6日の調書に署名をさせられて、その後すぐに弁護士さん(知人?)に相談したことから考えれば、仮に3月4日の時点で、この調書を見せられていたとすれば、その翌日、3月5日辺りには、運転手さんは弁護士さんに相談を求めるなどの行動を起こしていなければおかしいですよね。
それなのに、何故か8カ月間も、何もせずに、ただ、「待っていた」という事になります。
何を??
検察の準備を・・でしょうかね・・??
オカシイですよね・・・・・・。
そもそも、事故形態の認識について争うのであれば、まずは事故車両や現場の保存や調査、証言などの資料収集は必須の事だと思います。
事実、11月の調書を取られてから、運転手さんは、弁護士さんと共にそうした動きを開始している訳です。
ですが、この3月から11月という8カ月の間に、人々の記憶は風化し、事故現場、事故車両などの、事故の手掛かりとなるはずの証拠は保存されずに修理され、言って見れば、すべての証拠は「消えてなくなってしまった」わけです。
そして、一方検察側には・・・・・起訴から公判の維持に向けて、十分な準備をする時間があった・・・と言う事です。
さて、どちらの嘘であったかは、いずれも証明する事は出来ません。
なぜなら、いずれも当事者同士の見解のみしかなく、それを証明する物的証拠や第三者の証言等は存在しない訳ですから・・・。
ちなみにこの場合「員面調書」は証拠にはなりません。
なぜなら「疑いをもたれている文書そのもの」なのですから。
また、「警察が作成したという事実」も、その文書の正確さを担保する物ではありません。
さらに言うなら、本件裁判で証拠として認められているという事実も、その文書の正確さを決して担保するものではありません。
調書を捏造していた事件で刑が確定していた事例は他にもありますので・・・。
ただ、裁判ではその正当性を認識され、結果、運転手さんが懲役1年4月の刑に服したという事は事実です。
そして、刑期を終えた現時点においても、運転手さんはご自身の意見、「3月4日の員面調書は見た事が無い」という点は変えていない訳です。
さて・・・嘘をついているのはどっちだ????
前回以降特に新しい資料は作成出来ていませんので、今日は全般的な整理の意味で、この事故→事件の流れの中で、私が不審に思っている点などを整理してみたいと思います。
1:供述書と本人の証言が一致していない。
バス運転手さんの供述調書は、高知地検が作成した検面調書と、土佐署が作成した員面調書の2つがあるという事です。
高知地検による検面調書は、2006年11月6日、すなわち事故発生の8カ月後に行われています。
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-229.html
また、事故翌日の2006年3月4日に土佐署で作成されたものはこちらである・・と言う事なのですが・・・。
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-234.html
まず、この3月4日作成の調書とされるものが、本人の記憶とまったく異なっているという事です。
そのあたりの事は、こちらの記事に詳しく書かれていますが、↓ともあれ、本人はこの調書に署名捺印した事を「身に覚えが無い」と言っている訳です。
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-237.html
つまり、警察(検察)と運転手さんのどちらかが嘘をついているという事になります。
11月6日の調書については、どうやら「その時初めてブレーキ痕があるのを知らされた」と言っている事。
また、「署名をしなければ帰してもらえないと思った」と言っている事などから、これは双方の見解は一致しているものと考えてよさそうです。
さて、3月4日の調書が嘘であったとすれば・・・・。
運転手さんの話によれば、当日警察で話していた事は、歩道での一時停止後、発信するときに右側をよく確認したかしなかったか・・という段階での話に終始していた様子です。↓
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-233.html
ですので、この調書は偽物で、土佐署は「公文書(?有印私文書?かな?)を偽造した」・・と言う事になります。
そして、3月4日の調書が正しかったとすると・・・・・・。
運転手さんは事故翌日には、ブレーキ痕の存在と、現在裁判で確定している事故形態を認識していた事になります。
11月6日の調書に署名をさせられて、その後すぐに弁護士さん(知人?)に相談したことから考えれば、仮に3月4日の時点で、この調書を見せられていたとすれば、その翌日、3月5日辺りには、運転手さんは弁護士さんに相談を求めるなどの行動を起こしていなければおかしいですよね。
それなのに、何故か8カ月間も、何もせずに、ただ、「待っていた」という事になります。
何を??
検察の準備を・・でしょうかね・・??
オカシイですよね・・・・・・。
そもそも、事故形態の認識について争うのであれば、まずは事故車両や現場の保存や調査、証言などの資料収集は必須の事だと思います。
事実、11月の調書を取られてから、運転手さんは、弁護士さんと共にそうした動きを開始している訳です。
ですが、この3月から11月という8カ月の間に、人々の記憶は風化し、事故現場、事故車両などの、事故の手掛かりとなるはずの証拠は保存されずに修理され、言って見れば、すべての証拠は「消えてなくなってしまった」わけです。
そして、一方検察側には・・・・・起訴から公判の維持に向けて、十分な準備をする時間があった・・・と言う事です。
さて、どちらの嘘であったかは、いずれも証明する事は出来ません。
なぜなら、いずれも当事者同士の見解のみしかなく、それを証明する物的証拠や第三者の証言等は存在しない訳ですから・・・。
ちなみにこの場合「員面調書」は証拠にはなりません。
なぜなら「疑いをもたれている文書そのもの」なのですから。
また、「警察が作成したという事実」も、その文書の正確さを担保する物ではありません。
さらに言うなら、本件裁判で証拠として認められているという事実も、その文書の正確さを決して担保するものではありません。
調書を捏造していた事件で刑が確定していた事例は他にもありますので・・・。
ただ、裁判ではその正当性を認識され、結果、運転手さんが懲役1年4月の刑に服したという事は事実です。
そして、刑期を終えた現時点においても、運転手さんはご自身の意見、「3月4日の員面調書は見た事が無い」という点は変えていない訳です。
さて・・・嘘をついているのはどっちだ????
どうしても納得行かない事 [高知白バイ事件]
毎度多忙の折、しばらく間が空きましたが・・・・
以前書き起こしていた図面を眺めていて、また納得行かない事を書いてみようと思いました。
先ずはこの図面です。
これは、以前、科捜研図面を引用しながら、警察主張のような衝突後のバスと白バイの動きが起きたと仮定した際のバスと白バイの配置を示したものです。
取りあえず今回は、タイヤ痕は置いときます。
さて・・・科捜研は、バスのスリップが衝突により起きたと認定している訳です。
ですので、バスのスリップ開始位置はこの位置という事になりますし、その時の白バイの位置もこの位置という事になります。
そして、バスがスリップを開始する以前に、白バイのバスに対する「最大押し込み位置」があったと認定しているわけです。
それが、この位置ですね。
このとき、バスはどの位置にあったかというと、スリップ開始以前ですので当然ながら、バスは旋回軌跡上を遡った位置・・丁度この辺りにいたはずです。
さて・・・・・・
バスに対し、白バイが最も深く食い込んでいたであろうこの時・・・・・・。
後方に曲がった白バイの左ステップと、くぼんだアルミ角パイプフレームはどの位置にあったのでしょうか??
それらは丁度この、赤丸と、青丸(長丸)の位置にあります。
・・・・・・・・・・・・・・・????・・・・・・・・・・・
白バイのステップは、いったい何に当たって後方に曲がったのでしょうか??
V4-800ccのエンジンを支え、コーナリング時のよじれにも耐える、強固なアルミ角パイプフレームは、一体何に当たってくぼんだのでしょうか???
その後の、バスと白バイの動きをたどってみても・・・・・
最期まで、これらの位置が、バスと重なる事はありませんでした・・・・。
亡くなった白バイ隊員のバイクに残された傷は、警察-検察が主張する事故形態とは異なる事を言おうとしているような気がしてなりません。
以前書き起こしていた図面を眺めていて、また納得行かない事を書いてみようと思いました。
先ずはこの図面です。
これは、以前、科捜研図面を引用しながら、警察主張のような衝突後のバスと白バイの動きが起きたと仮定した際のバスと白バイの配置を示したものです。
取りあえず今回は、タイヤ痕は置いときます。
さて・・・科捜研は、バスのスリップが衝突により起きたと認定している訳です。
ですので、バスのスリップ開始位置はこの位置という事になりますし、その時の白バイの位置もこの位置という事になります。
そして、バスがスリップを開始する以前に、白バイのバスに対する「最大押し込み位置」があったと認定しているわけです。
それが、この位置ですね。
このとき、バスはどの位置にあったかというと、スリップ開始以前ですので当然ながら、バスは旋回軌跡上を遡った位置・・丁度この辺りにいたはずです。
さて・・・・・・
バスに対し、白バイが最も深く食い込んでいたであろうこの時・・・・・・。
後方に曲がった白バイの左ステップと、くぼんだアルミ角パイプフレームはどの位置にあったのでしょうか??
それらは丁度この、赤丸と、青丸(長丸)の位置にあります。
・・・・・・・・・・・・・・・????・・・・・・・・・・・
白バイのステップは、いったい何に当たって後方に曲がったのでしょうか??
V4-800ccのエンジンを支え、コーナリング時のよじれにも耐える、強固なアルミ角パイプフレームは、一体何に当たってくぼんだのでしょうか???
その後の、バスと白バイの動きをたどってみても・・・・・
最期まで、これらの位置が、バスと重なる事はありませんでした・・・・。
亡くなった白バイ隊員のバイクに残された傷は、警察-検察が主張する事故形態とは異なる事を言おうとしているような気がしてなりません。
ステレオカメラ、調子悪かったんですか? [高知白バイ事件]
科捜研様・・・・資料の精度は?? [高知白バイ事件]
さて、前回は、3Dソフトを使用して、写真と科捜研資料の重ね合わせを行ってみた訳ですが・・・。
そこで最後に私が思った事ですが・・・・。
この(科捜研)資料の作図精度は高い?低い????
さて、どっちでしょう??
さて、もう一度こちらをご覧くださいね。
確かに白バイの位置は大分違うんですが、そのほかの痕跡・・・・・・。
バスの位置、Tマーク、さっか痕の位置、長さなど・・・・・・。
ほぼ写真とデータの位置関係は合っているんです。
コレはどういう事か?・・・・というと・・・・。
事故検分には、通常「ステレオカメラ」を使用する訳ですね。
今回も、現地に「ステレオカメラ車」が来ていた写真を見た記憶がありますので、検分に「ステレオカメラ」が使用されている事は、まぁ、間違いないと思います。
そして、通常その撮影時には・・・・。
証拠となる様なものの位置関係を解り易く表示するために、よく見かける、黒い三角形のマーカーを使う訳です。
で、撮影する対象はというと、事故の場合、路面の痕跡を撮影する事になる訳です。
その際、事故車は撤去された状態で撮影する事になります。
(車があったら見えないですからね、影になっちゃって)
で、今回もそうした手順を踏んでいる様で、TVからの画像にこういう物がありました。
もうお解りですね。
科捜研資料に対する私の解釈としては、以下の通りです。
1:ステレオカメラにより撮影された痕跡(Tマークとさっか痕様のものたち)は、ほぼ正確に図上にプロットされている。
2:事故車撤去前に、白バイの位置を路面にトレースするなりの方法により特定しなかったため、ステレオカメラの写真からでは、白バイの位置を特定する事が出来なかった。(または、その必要がないと考えていた:推測)
3:したがって、科捜研資料における(ステレオカメラ写真に基づく)作図精度はかなり高いものと評価できる・・・・が・・・・・・。
5:それは、Tマークとさっか痕様の物を、ほぼ正確に作図したにとどまっており、バスと白バイは、それらの痕跡からの推定により位置を決められて作図された事がうかがえる。
そして・・・・
もう一点、ブレーキ痕様のものの長さは一致していない。
これは意図的に短く作図された事がうかがえる。
なぜならば、現地の写真より、路面のブレーキ痕様のものの、2m近い位置にチョークによるマーキングが確認されている。
ご丁寧に、スケールまであてて、長さを計測している痕跡を、資料に転記する際に短く作図した事には、何らかの意図があったとしか考えられない。
ということで・・・・ステレオカメラの機構は非常に良好に働き、精度の高い作図が可能な状況にあった様ですが・・・・・・・。
使用した人間に問題があったという事ですね。
で、私の解釈としては・・・
科捜研資料は、意図的に現場の状況をまげて作図されたものである(スリップ痕様のもの)上に、痕跡を基にした思い込みによる推測により車両位置を特定するという、間違った手法により作成されたものである。
という事だと思います。
本来必要な手順は、逆で、痕跡と事故車両の配置を正確に作図したのち、その痕跡の原因となる動きがどのようなものかを推測しなければならないものと考えます。
そこで最後に私が思った事ですが・・・・。
この(科捜研)資料の作図精度は高い?低い????
さて、どっちでしょう??
さて、もう一度こちらをご覧くださいね。
確かに白バイの位置は大分違うんですが、そのほかの痕跡・・・・・・。
バスの位置、Tマーク、さっか痕の位置、長さなど・・・・・・。
ほぼ写真とデータの位置関係は合っているんです。
コレはどういう事か?・・・・というと・・・・。
事故検分には、通常「ステレオカメラ」を使用する訳ですね。
今回も、現地に「ステレオカメラ車」が来ていた写真を見た記憶がありますので、検分に「ステレオカメラ」が使用されている事は、まぁ、間違いないと思います。
そして、通常その撮影時には・・・・。
証拠となる様なものの位置関係を解り易く表示するために、よく見かける、黒い三角形のマーカーを使う訳です。
で、撮影する対象はというと、事故の場合、路面の痕跡を撮影する事になる訳です。
その際、事故車は撤去された状態で撮影する事になります。
(車があったら見えないですからね、影になっちゃって)
で、今回もそうした手順を踏んでいる様で、TVからの画像にこういう物がありました。
もうお解りですね。
科捜研資料に対する私の解釈としては、以下の通りです。
1:ステレオカメラにより撮影された痕跡(Tマークとさっか痕様のものたち)は、ほぼ正確に図上にプロットされている。
2:事故車撤去前に、白バイの位置を路面にトレースするなりの方法により特定しなかったため、ステレオカメラの写真からでは、白バイの位置を特定する事が出来なかった。(または、その必要がないと考えていた:推測)
3:したがって、科捜研資料における(ステレオカメラ写真に基づく)作図精度はかなり高いものと評価できる・・・・が・・・・・・。
5:それは、Tマークとさっか痕様の物を、ほぼ正確に作図したにとどまっており、バスと白バイは、それらの痕跡からの推定により位置を決められて作図された事がうかがえる。
そして・・・・
もう一点、ブレーキ痕様のものの長さは一致していない。
これは意図的に短く作図された事がうかがえる。
なぜならば、現地の写真より、路面のブレーキ痕様のものの、2m近い位置にチョークによるマーキングが確認されている。
ご丁寧に、スケールまであてて、長さを計測している痕跡を、資料に転記する際に短く作図した事には、何らかの意図があったとしか考えられない。
ということで・・・・ステレオカメラの機構は非常に良好に働き、精度の高い作図が可能な状況にあった様ですが・・・・・・・。
使用した人間に問題があったという事ですね。
で、私の解釈としては・・・
科捜研資料は、意図的に現場の状況をまげて作図されたものである(スリップ痕様のもの)上に、痕跡を基にした思い込みによる推測により車両位置を特定するという、間違った手法により作成されたものである。
という事だと思います。
本来必要な手順は、逆で、痕跡と事故車両の配置を正確に作図したのち、その痕跡の原因となる動きがどのようなものかを推測しなければならないものと考えます。
事故後の配置と痕跡の食い違い [高知白バイ事件]
前エントリーで、事故後のバスと白バイの配置を図上で特定する作業を行った訳ですが・・。
比較に使用した3D画像でツッコミもいただいていた事もあり、思い切ってデータの移植を敢行しました。
CADから3Dソフトへの移植です。
もともと3D様に作ったデータではなかったので、何かと細かい調整が必要だったため、思いのほか時間がかかってしまいましたが、何とか満足のいくものが出来ましたので、公開する事にしました。
さて、まずはこの、お馴染みの写真ですが・・・。
3Dソフトで視点調整をした上で、出力した画像を、これに重ねてみます。
はい。
こんな具合ですね。
では、この重ねたレイヤの透明度を調整して、重なり具合の確認をしてみましょう。
・・・・・すると・・・・。
まぁ、ご覧頂いたとおりです。
バス、Tマーク、さっか痕様のもの・・・・・
ほぼこれでよろしいかと思います。
でも・・・・・白バイは大分ズレていますよね。
この配置が、前エントリーで示した、「科捜研図面」に基づいて配置した、白バイのモデルです。
では、次に白バイの位置を修正してみると・・・。
こんな具合になるかと思います。
これで、ほぼ、すべての物たちの配置が写真と一致してきたと思います。
ちなみに、この2種類の白バイの配置を重ねてみると、こんな感じになります。
この食い違いは「誤差」ですませられる範囲ではないと思います。
で、ちなみに、この写真の配置のとき、白バイのリヤバンパーはどこに接地しているのか???
ちょっと別の角度から見てみました。
接地位置が解り易いように、「科捜研図面」の痕跡をコピーして、平行移動してみました。
この、左上方に新しく書かれた、黄色のL型の線の先端に、リヤバンパーは接地しています。
・・・ということは・・・・。
少なくとも、この現場に残されたL型痕は、白バイのリヤバンパーによる痕跡ではない可能性が非常に高い・・・ということです。
特に、科捜研が鑑定書により想定しているであろう動き方を白バイがした場合は、この痕跡と白バイのリヤバンパーの位置は、食い違ってしまう事になる訳ですね。
こんな風に・・・。
さて・・・・ここで新たな疑問が発生してきます・・・・。
では、本当のリヤバンパーのさっか痕は??
リヤパンパーだけでなく、より大きく破損しているフロンバンパーの痕跡は??
それらは一体どこにあるんでしょうか?????
常識的に考えて、右前後バンパーがあれだけ破損しているのですから、路面に「何らかの痕跡」は残ると考えていいと思います。
そもそも、バスと白バイがかみ合っていたとするならば、より大きな力は、バスに近い、フロントバンパー側にかかっていたと考えるのが自然ではないでしょうか?
右フロントバンパーの破損がより大きかった事が、それを証明しているのではないでしょうか??
では、フロントバンパーが引きずられた傷は????
さて・・・これらの傷は一体どこに??
比較に使用した3D画像でツッコミもいただいていた事もあり、思い切ってデータの移植を敢行しました。
CADから3Dソフトへの移植です。
もともと3D様に作ったデータではなかったので、何かと細かい調整が必要だったため、思いのほか時間がかかってしまいましたが、何とか満足のいくものが出来ましたので、公開する事にしました。
さて、まずはこの、お馴染みの写真ですが・・・。
3Dソフトで視点調整をした上で、出力した画像を、これに重ねてみます。
はい。
こんな具合ですね。
では、この重ねたレイヤの透明度を調整して、重なり具合の確認をしてみましょう。
・・・・・すると・・・・。
まぁ、ご覧頂いたとおりです。
バス、Tマーク、さっか痕様のもの・・・・・
ほぼこれでよろしいかと思います。
でも・・・・・白バイは大分ズレていますよね。
この配置が、前エントリーで示した、「科捜研図面」に基づいて配置した、白バイのモデルです。
では、次に白バイの位置を修正してみると・・・。
こんな具合になるかと思います。
これで、ほぼ、すべての物たちの配置が写真と一致してきたと思います。
ちなみに、この2種類の白バイの配置を重ねてみると、こんな感じになります。
この食い違いは「誤差」ですませられる範囲ではないと思います。
で、ちなみに、この写真の配置のとき、白バイのリヤバンパーはどこに接地しているのか???
ちょっと別の角度から見てみました。
接地位置が解り易いように、「科捜研図面」の痕跡をコピーして、平行移動してみました。
この、左上方に新しく書かれた、黄色のL型の線の先端に、リヤバンパーは接地しています。
・・・ということは・・・・。
少なくとも、この現場に残されたL型痕は、白バイのリヤバンパーによる痕跡ではない可能性が非常に高い・・・ということです。
特に、科捜研が鑑定書により想定しているであろう動き方を白バイがした場合は、この痕跡と白バイのリヤバンパーの位置は、食い違ってしまう事になる訳ですね。
こんな風に・・・。
さて・・・・ここで新たな疑問が発生してきます・・・・。
では、本当のリヤバンパーのさっか痕は??
リヤパンパーだけでなく、より大きく破損しているフロンバンパーの痕跡は??
それらは一体どこにあるんでしょうか?????
常識的に考えて、右前後バンパーがあれだけ破損しているのですから、路面に「何らかの痕跡」は残ると考えていいと思います。
そもそも、バスと白バイがかみ合っていたとするならば、より大きな力は、バスに近い、フロントバンパー側にかかっていたと考えるのが自然ではないでしょうか?
右フロントバンパーの破損がより大きかった事が、それを証明しているのではないでしょうか??
では、フロントバンパーが引きずられた傷は????
さて・・・これらの傷は一体どこに??